第1話 陶芸家という職業

 陶芸家というと一般的には山にこもって作務依を着、
ヒゲをはやして長髪でそして薪を窯の中にバンバンと投げ込んで、
出てきた作品が気に入らなければバシバシ割ってしまう・・・
というイメージが強い。
しかしながら、そんな絵に書いたような作家は居るには居るが、
ほんの一握りの人で実際大多数の陶芸家は一般の人々となんら変わらず、
普通に生活している人がほとんどだ。

陶芸家という名前はあくまで「自称」である。
別に国家試験に合格しなくてもいい。

会社名は窯に自分の好きな名前を付けて○△□窯とする場合が多い。
だけど、会社みたいに役職名が無い。
ただ○△□窯と言われてもピンとこないので、人々は色々な事で
作家を分類したがるのである。

まずは作品を焼いている地名や種類別・・・
備前焼作家とか九谷焼作家とか萩焼作家など

次にスタイル別・・・
伝統的な作家なのか、前衛的な作家なのか、クラフト的な作家なのか、等々

はたまた、公募展の名前別・・・
日展系の作家とか、女流陶芸作家とか、工芸会系作家、等々

ほかにも色々と分類の方法はあると思うが、個展を開くと
よくこの手の質問が飛んでくる。

私みたいに四日市(万古焼、ばんこやき)で信楽の土を使い、
壷も作ればオブジェも作る。日展にも出品しているけど、
他の公募展にも出品している。ガス窯と電気窯を使い分けていて、
焼〆もやれば絵付けもする作家はどうやって答えれば良いのだろうか?
                              
2000年1月5日

第2話 使えない茶碗?

  もし、あなたが誰かに叱って欲しい!誰かに説教してもらいたい!と
思う少しマゾな人は抹茶碗を作る事をお勧めする。
万が一、唐九郎と見た目違わない茶碗をがんばって製作したとしても、
十分説教の対象になる事間違いない!高台の無い茶碗なんかを
作ろうものなら、快感になるまで叱ってもらえる!

  私事ではあるが、個展会場で「お茶をやっている」というご婦人に
「あなたの茶碗は面白いけど茶席では使えない!」と
まるで怒られているみたいに言われた事がある。
「使えない」・・とはどういう意味なのか、
「面白いのならどうして?」
頭の悪い私はすぐに答えを出せずに、もんもんと考え込んでしまった。

  まあご婦人の言わんとしている事は、
茶碗としての約束事の事か?
私が無名作家でしかも今までに見たことも無い茶碗だからか?
著名な家元の箱書きがないから?
それとも私の作品が無茶苦茶ひどかったのだろう!
しかし、逆説的に考えてみると茶碗というのはそれらの条件を
クリアしないと茶碗とは呼べないのだろうか?
答えは当然「NO」のはずだ!

  私が思うに茶席で使えないお茶碗というのはこの世には存在しない!

  ご婦人のご意見を私なりに解釈すると
「あなたの茶碗は面白いんだけど、もし茶席で出したら、
色々とご意見が飛んできて、まるっきり私がお茶碗を知らないなんて
言われるのちょっと勘弁してほしいのよ!」・・ってところだろう。

  先日、ある人にぐいのみを見せられ「どうですか?」と
尋ねられた事がある。
「なんか教室の生徒でまだ陶芸に手を染めて日が浅い人の作品かな?」と
思っていたらなんと有名な陶芸作家の方の作品だった!
有名人の作品と聞くと「へ〜」と言ってもう一度見直してみる。

  もうお分かりだと思うが、茶碗も同じ事が言える。
はじめにこれは「有名な先生の茶碗です」と言うと皆、
少々茶碗の約束事からはずれていたとしても口をそろえて
「いい仕事してますね〜!」なんて言うはずだ。
しかし
「失礼しました、今のは間違いでウチの亭主が趣味で作ったのでした」
なんて事になったら、使える、使えないなんて、そもそも無いのと
同じ事なのでは?

  作品の価値はあくまで自分が好きか嫌いかに尽きると思う。
  もちろんブランド名で選ぶのも自由ではあるが!

   
2000年1月15日

第3話 公募展

  陶芸を始めてまだ1年も経たない頃、先輩作家とグループ展を
開かせていただく事になった。もちろん案内状のハガキ(DM)も製
作された。作品写真とプロフィール(陶歴)を載せると言うのだ。
当然ながら超新人である私に陶歴なんてあるわけもなく、
なにも書く事がないのである。仕方ないので大学卒(しかも、外国語学部)
と記載した。

  だから・・・「なんでもいい、陶歴が欲しい!」
と心の中から当時は思った。

  公募展への出品動機は実に不純だった。
陶歴が欲しいのもそうだが、入選するとパンフレット(小雑誌)に
載せてくれる!下手すれば賞金まで入ってくる!!
だから純粋に自分の腕試しとか作品を多くの人に見ていただこう・・・
などとは微塵も思っていなかった。作品なんてどうでもいいのだ、
ただただ入選さえすればそれでよかった。

  しかし、現実は厳しかった。チョコチョコと手先で作った作品で、
しかも審査員から票を集めるべく、奇をてらった姿勢では結果は
当然落選だった!

  それから、自分の表現したいのは何なのか?
またそれを実現するには、どのような技法を用いるべきなのか?・・・
などと考えだした。やはり始めから全国規模の公募展への出品は
私にとってハードルが高かったので、まずは地方の展覧会から
出品し始めた。

  前回とは違い、それなりに作品重視の姿勢で臨んだ結果
(・・と言っても下心が完全に無くなった訳ではないんだが)
地方展ではそれなりの結果が出せるようになってきた。
新聞記事にもなり、賞金も入ってきた!
いつのまにか実力が少しずつではあるがついてきたような気分に
させられた。

  女の子にモテたいという下心からエレキギターを始めたのだけど、
気がつくとそれなりに上達していて「もっと上手くなりたい!」とか
「オリジナルの曲を演ってみたい!」という行動パターンと
酷似している事に気がついた。

  現在はそれほど陶歴にこだわる事は無くなった。
公募展に出品していなくてもいい作品を作っておられる作家は
たくさんいる。作品の価値は陶歴が立派という事と関係ないからだ。

  だからと言って一切公募展に挑戦してない人が公募展の無意味さを
論じるのは、いかがなものかと思う。たかが入選、されど入選。
全国規模の公募展で入選するのは、はっきり言ってかなりキツイですぞ!                   
2000年1月25日

第4話 失敗作

  作陶していると当然失敗作が出てくる。
成形での失敗、乾燥での失敗、焼成での失敗、など
他にも焼成後でも色や形が気に入らなくて失敗作とする場合もある。
問題はその失敗作のその後である。

  焼成前ならまた土の状態に戻す事ができるが、焼成後の失敗作の
処理の仕方にはいつも悩まされる。 冷め割れ(冷却中に入るひび割れ)と
言って、見た目には全然キズは無いのだが水を入れると漏れてくる作品など
は特に困る。

  気難しい作家や完璧主義の作家ならその場で叩き割っているのだろうが、
私はまずその場で割ると言う事はしない。どうしてかと問われると理由は
色々あるが、よく陶芸家のイメージとして定着している
派手に、しかもこれ見よがしに割るという行為自体が好きではない
からだろう。

  確かに作品は自分の手から作りだすものだが、自分一人の力で出来て
いる訳では決してない!つまり、土を使いガスや電気、薪を使って始めて
作品は出来あがるのである。

  エコロジーが叫ばれている現在、特に薪窯に費やされる薪の量なんて
半端じゃないし、焼成によって二酸化炭素を放出しまくっているのだ。
それを自分が気に入らないと言って意図も簡単に割るというのは、
あまりにも無責任な行為だと感じてしまう。

  確かに、粉々に割れてしまった作品や大きく裂けてしまった作品に
ついては廃棄処分にするしかないが、ある程度きちんと焼きあがって
いるのに少々のキズがある作品や、色が気に入らない作品はとりあえず
保存しておくようにしている。
しかし、もちろんそれらの作品が個展に並ぶ事は無い。

  かと言って、作陶には失敗が付き物なので失敗作はたまる一方だ。
食器に関しては家使いにしている。
だから、我が家は「紺屋の白袴」状態だ。
水が漏れる花器などはドライフラワー用や植木鉢にも変身している。
小銭入れや鉛筆立て、灰皿やゴミ箱にも変身する、
まともな食器や花器は家の中にはひとつも無い!やれやれである!

  陶芸作品は後に残る物である。はっきり言って初期の作品などは
回収したいものがいくつもある。しかし、自分の未熟さをもひっくるめての
作品である。失敗作を手元に置いておく事はその場で作品を割る事ほど
簡単ではない。
          
2000年2月5日

第5話 通勤時間

  私の工房は家から7メートルくらい離れた所にあり、
歩いて6秒走って2秒くらいの所にある。
すなわち通勤時間はゼロと言ってもいい。私の友人達は口をそろえて
「いいな〜」と言う。しかし良い事ばかりでは無いのである。

  昔学生の頃、千葉県の柏市に住んでいてバイトで東京まで
毎朝電車に揺られて通った事がある。朝のラッシュは想像以上で
ウォークマンのスイッチを切り替える事すら至難のワザだった。
バイトの間だけの事だから我慢できたが、忍耐力のない私は
これをずーっと続ける事は不可能だと自覚した。
だから、仕事は通勤ラッシュのない仕事に就こうと思った。

  そして現在、確かに通勤時間のない職業に就いているわけだが、
これが良いようで、しかしそれはそれで問題点があるのである。

  絵付けの仕事は家の中でやっているが、気がつくと三日間家の外に
出ていないと言う時もある。つまり誰にも会わない訳だから、
服装はだれているし頭はボサボサ、はっきり言ってかっこよくないのである。
おまけに女房とず〜っと一緒である。朝・昼・晩と一緒に食事をしている。
確かに女房と一緒に食事をとれるのは、めちゃくちゃ嬉しい?????が、
やはりそこは人間である。毎日顔を合わせていると喧嘩もする。
外に仕事で出ていれば顔を合わせなくてすむが、ずーっと一緒だと
これが裏目にでる。

  かと言って全然外に出ない訳でもないので、たまに電車に乗ったり
なんかするとある種の新鮮な感じを受ける。特に女子高生のスカートの
短さには目のやり場に困ってしまうが、それ以外にも身だしなみを
きちんとした人や良い香水の香りがふわぁ〜とした時などは、
今の自分は「このままでは、いかん!」という気持ちになる。

  つまり、通勤時間(人に会う、見られる)がない故に気持ちの
切り替えが無く、ずーっと同じテンションでいる状態に陥りやすいのだ。
誰も見ていないのにおしゃれをするのは至難の技だが、たまにふと鏡を
見て自戒しなければ・・・作品もだれてきてしまう!

  だからと言ってもう一度ラッシュアワーの電車に乗る勇気もない。
通勤時間が無いメリットもたくさんあるのも事実ですから・・・
やれやれ、人間ってなんてわがままなんでしょう?!

                                 
2000年2月15日

第6話 誰だったかな?

  私は人の名前を覚えるのが苦手である。
もうこれが見事というくらい覚えられないのである。
別に覚える気がない訳ではない。ただただ覚える才能がないのである。

  一番困るのは個展の時だ。
お客さんは私の事をしっかり覚えていてくださる。
大変光栄で嬉しい事だ。しかし、私がお客さんを思い出せないのである。
個展会場によっては2年間も間が開いている。

  毎回、個展には毎日多くの方が訪れてくださる。
もちろん遠方での会場では100%にちかい方が、初対面の人である。
色々と作品の説明もさせていただき会話もしてその時は、しっかり
覚えている?のだが、次のお客さん、その次のお客さん・・・と
新しい記憶が入ってくると「ところてん」のように、古い記憶が順番に
外に排出されるのである・・・まるでメモリーの容量の少ない二昔前の
コンピューター部品のようだ。

  特に似た苗字には毎回困惑してしまう。
「石崎さん」「石垣さん」「稲垣さん」等。
誠に申し訳ないが何回も覚えようと努力してもダメである。
特に個展会場で「私の事、覚えてますか?」と言われた時には
顔面蒼白である。本当に逃げ出したくなるのである。

  こうも記憶力が悪いと、いくらごまかしていても、
ごまかしきれなくなる。さすがに最近はお客さんに正直に
「すみません、お顔とお名前の記憶が・・・」と言って
前回買って下さった作品の話題などから遠い記憶を引き出すように
している。もちろん個展の前には前回のお客さんリストで予習をして
行くのだが、お客さんも前回と同じ髪型、同じ服、同じ体型ではない。
いい訳するわけではないが、髪型や服装が変わると本当にわからない
ものである。

  個展会場でもし私が作り笑顔をしていて、なんとなく困った風な
雰囲気だったらたぶん頭の中ではこんな事を考えている時です。
「誰だったかな?」「誰だったかな?」「誰だったかな?」

2000年2月25日

第7話 二重人格

  陶芸家に限らず誰でも二面性を持っている。
明るい自分、暗い自分。派手な自分、地味な自分・・・等々。

  私の個展では花器を中心とした、どちらかと言うと土味を生かした
落ち着いた作品(炭化焼成)と、
食器を中心とした派手な作品(金、銀、赤、緑)を展示している。
お客さんによく「これって、一人の作家の作品ですか?」と言われる。
そうなのだ!まるで別人がグループ展を開いているかのごとしなのだ!

  自分でも時々「こんな展示の個展でいいのか?」と自問する時も
あるのだが、何回考えてもどちらも自分の表現したい事であり、
どちらもお客さんに見て欲しいのである。
ほとんどの作家は自分のスタイルを持っていて、
たとえば焼き〆の作家なら焼き〆作品が会場を埋める。
青磁の作家なら青磁の作品が会場を埋め尽くす。

  各々の作家は専門分野の手法をより専門にするべく日夜研鑚を
つんでいる。しかし、私の場合、焼き〆ばかりやっていると、
絵付けがしたくなってくるし、逆に絵付けばかりしていると
土味が恋しくなる。
こんな事では何ひとつ大成しないんじゃないかとそれはそれで不安にも
なったりするがどうしようもない。

  それぞれの自分がそれぞれの仕事をしたがっているのだ。

  またお客さんも渋い系と派手系に分かれていて、それぞれの
支持者になってくださっている。

  別にどちらかに無理にスタイルを決める必要は無い。
物を作る時に大事な事は自分に正直になる事だ。他人が何を言おうと、
自分の表現したい事を貫く事だ。これは物作りに限った事ではない。
自分にウソをついての行為はたとえ成功したとしても、どこか後味が悪い。

  今の私の作品は、まるで二重人格者のようであるが、本当の事を言うと
二重人格、三重人格が混ざり合っての、自分が本当の自分のような
気がする。

  年を重ねる事によって、また新たな自分を発見できれば、
それはそれで嬉しい事であるが今しばらくは二人の自分の好きに
させていただく事とします。

2000年3月5日

第8話 定収入

  多くの自由業の人は「定収入」と言う言葉とは無縁だ。
「ボーナス」「有給休暇」「退職金」という言葉もテレビや新聞から
聞くだけで、少なくとも私には無縁の言葉だ。私の場合、月収ではなく
年収と言う単位で生活生計を立てている。
月収だと限りなく¥0に近いという事もよくある事なのだから・・・

  陶芸作家としてだけで食べていく前は、私は給料をもらっていた。
親父の仕事を手伝っていたからだ。「ボーナス」もあった。
日、祭日も暦通りに休ませてもらっていた。決してたくさんもらっていた
訳ではないが、決まった給料はもらえる。会社が儲かっていようが、
いまいが決まった額の給料だから、給料内で生活している分には
何の心配もない。

  現在は純粋に私の作った作品を売って生計を立てている。
いわゆる「独立」である。主に個展を開催し作品の売上によって
収入を得ている。当然、定収入ではなく売上によって収入は変わってくる。

  ただ、不思議と安定している給料をもらっている時より、この限りなく
不安定な収入の方が面白いのである。なぜか、財政的にピンチの時に限って
必ず助け船がやってきてくれるのである。公募展で賞金が入ってきたり、
日頃お付き合いの無い方から注文を頂いたり、日頃売れないオブジェなどが
売れたり、自動販売機に釣銭が取り忘れてあったり・・・
実に不思議にも毎回こうやってピンチを脱出してきた。

  だからと言ってただ良い話が転がり込んでくるのを、
ぼんやり待っているわけではない。がんばり無くして結果は望まれないし、
運もついてこない。最近がんばった結果としての実感が少しずつではあるが
湧いてきている。決して目に見える程ではない。なんとなくである。

  がんばった結果として収入が多いにこした事はないが「定収入」より
今は「低収入」の方が私は面白い? 
                               
2000年3月15日

第9話 先生!

  世の中「先生」と呼ばれる人達は意外と大勢いる。
学校の「先生」はもとより、代議士、法律家、会計士、
等々色々な「先生」がいる。芸術家もよく「先生」と呼ばれる事がある。

  生まれて初めて個展を百貨店で開いた時、「先生!」と呼ばれた。
始めは誰の事を指して「先生」と呼んでいるのか分からずにいたのだが、
自分の事をそう呼んでいる事に気付いて正直、驚きと照れくささの
入り混じった不思議な気分になった記憶がある。
「先生なんて呼ばずに、名前で呼んでください!」と申し出たところ、
「画廊では作家の方は先生とお呼びする事になってますから・・」と
言われた。

  芸能界では昼だろうが夜中だろうが、あいさつは
「おはようございます」になっているのと同じで、
人間国宝級の作家だろうが、初めて個展を開く若僧作家だろうが、
とりあえず画廊の中では「先生」とよばれるのである。

  それと最近よく色々な美術関係の会社や団体から手紙を頂く事が
あるが、宛名には「熊本栄司 先生」と書いてある。
妻はそれを見て「熊本先生ね〜?!」と半分笑いながら、
「いつから先生になったんだろうね〜?!」・・・てな調子である。 

  確かにいつから「先生」になってしまったんだろう?
お恥ずかしい話ではあるが、最近では「先生」と呼ばれる事にすっかり
慣れてしまい、画廊で「先生!」と呼ばれれば「ハイ!」と
答えてしまっている自分がいる。

  「先生とは呼ばないで下さい」と言っても無駄である。
それはあくまで呼び名であって、本当の意味での「先生」ではないから
である。だから「名前でよんでください」と言ってもかえって
店員さんに迷惑なだけだ。

  私は教えるのが大の苦手であるから、一生、真の意味での先生には
なれない。教わる方がいい。新しい事をどんどん覚えていく事は
本当に面白い。教えるのは自分の容量の中からの切り売り的な事だけれども、
教わるのは無限大だ。「先生」とよばれる事に慣れて、自分自身の勘違いに
ならないように心がけて行きたいものだ。

  人間死ぬまで勉強だ。私はずっと「先生」ではなく
「生徒」としての心構えで臨みたい。
                             
2000年3月25日

第10話 審査

  第三話で公募展の話に触れたが、今回はその中身にせまってみたいと
思う。

  公募展に出品するたび、やはり結果は気になる。
審査結果通知が届くまではなんとなく落ち着かず、一日千秋の思いで
結果を待つ。そして審査の結果に一喜一憂。他人から見ると全然たいした事
ではないんだけど、やはり当人はそれがすべてなのだ。
がんばればがんばっただけその思いは募る。

  そして結果が出て、実際にその展覧会を見に行くと、たびたび不思議な
感じになる。つまり、納得が自分の中に出来ないのだ。
何が納得できないのかと言うと審査結果についてなのだ。
著名な人達が審査しての結果だから、青二才の私がその審査結果にとやかく
言うのは「釈迦に説法」状態で、大変、生意気だとは思うが、
納得しないものはしないのだから仕方がない。

  毎回、公募展の搬入の時には、大勢の出品作品を見る事が出来る。
一目見ただけで「これはスゴイ!」と思える作品がたくさんあり、
絶対入選、いや入賞するであろうと予測がたつのだが・・・
いざ蓋を開けてみると入賞どころか選外という結果だったり、
それとは逆に「これは一次審査で落ちるな〜」と思った作品が入選、入賞を
果たすという現象がよくあるのだ。あくまでも私個人の基準での話だが。

  だけど、ここに「たぶん熊本に見る目がないからだ!」・・・と
簡単にくくれない事例があるのだ。私の知人で一度落選した作品を、
何年か後に出品したらみごと入選!という事もあり、どうにも納得しがたい。
審査員もさしてメンバーチェンジしていないのにだ!!

  美術の場合、作品の良し悪しを判断する基準というのは、
審査員の価値判断に尽きると思う。
オリンピックの100メートル走みたいに誰が見ても文句なしの審査ではない。
だから、出品した時点でのタイミングや審査員の顔ぶれ等に大きく結果が
左右されると言う事なのだ。

  あのゴッホでも、当時評論家からボロクソに批判されていて、
生涯の間でたったの一枚しか絵が売れなかった。しかし、現在は一枚何億円
としている。当時の評論家という審査員の判断は今の時代では誤りだった
ともとれる。

  人が審査をするというのは、かなりいい加減なものと言えなくもない。
別に入賞、入選した作品が悪いと言っている訳でもないし、
審査員が選んだ作品がすべて納得できないと言っている訳でもない。
文句なしの結果で納得のいく時ももちろんあるが、一番大事なのは
自分がいいなと思った作品への評価が審査結果によって
「私はやっぱり見る目がないんだ、大した作品じゃなかったんだ!」とか
「あんまり好きじゃないけど大賞を取っているのでスゴイ作品なんだ!?」
と妙に納得してしまう事なのだ。

  最近の公募展の審査は複数の審査員での多数決によって決められると
聞く。だから中には自分が良いと思った作品に票を投じている審査員も
いるであろう。審査結果はあくまで、仮の姿だ。
絶対ではない!落選よりも入選する方がいいに決っているが審査結果よりも
やはり自分の価値判断を最後まで貫く事もまた大事だと思う。
作品の最大の価値基準は自分が好きか嫌いかだけなのだから・・・

2000年4月5日
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