第10話 審査

  第三話で公募展の話に触れたが、今回はその中身にせまってみたいと
思う。

  公募展に出品するたび、やはり結果は気になる。
審査結果通知が届くまではなんとなく落ち着かず、一日千秋の思いで
結果を待つ。そして審査の結果に一喜一憂。他人から見ると全然たいした事
ではないんだけど、やはり当人はそれがすべてなのだ。
がんばればがんばっただけその思いは募る。

  そして結果が出て、実際にその展覧会を見に行くと、たびたび不思議な
感じになる。つまり、納得が自分の中に出来ないのだ。
何が納得できないのかと言うと審査結果についてなのだ。
著名な人達が審査しての結果だから、青二才の私がその審査結果にとやかく
言うのは「釈迦に説法」状態で、大変、生意気だとは思うが、
納得しないものはしないのだから仕方がない。

  毎回、公募展の搬入の時には、大勢の出品作品を見る事が出来る。
一目見ただけで「これはスゴイ!」と思える作品がたくさんあり、
絶対入選、いや入賞するであろうと予測がたつのだが・・・
いざ蓋を開けてみると入賞どころか選外という結果だったり、
それとは逆に「これは一次審査で落ちるな〜」と思った作品が入選、入賞を
果たすという現象がよくあるのだ。あくまでも私個人の基準での話だが。

  だけど、ここに「たぶん熊本に見る目がないからだ!」・・・と
簡単にくくれない事例があるのだ。私の知人で一度落選した作品を、
何年か後に出品したらみごと入選!という事もあり、どうにも納得しがたい。
審査員もさしてメンバーチェンジしていないのにだ!!

  美術の場合、作品の良し悪しを判断する基準というのは、
審査員の価値判断に尽きると思う。
オリンピックの100メートル走みたいに誰が見ても文句なしの審査ではない。
だから、出品した時点でのタイミングや審査員の顔ぶれ等に大きく結果が
左右されると言う事なのだ。

  あのゴッホでも、当時評論家からボロクソに批判されていて、
生涯の間でたったの一枚しか絵が売れなかった。しかし、現在は一枚何億円
としている。当時の評論家という審査員の判断は今の時代では誤りだった
ともとれる。

  人が審査をするというのは、かなりいい加減なものと言えなくもない。
別に入賞、入選した作品が悪いと言っている訳でもないし、
審査員が選んだ作品がすべて納得できないと言っている訳でもない。
文句なしの結果で納得のいく時ももちろんあるが、一番大事なのは
自分がいいなと思った作品への評価が審査結果によって
「私はやっぱり見る目がないんだ、大した作品じゃなかったんだ!」とか
「あんまり好きじゃないけど大賞を取っているのでスゴイ作品なんだ!?」
と妙に納得してしまう事なのだ。

  最近の公募展の審査は複数の審査員での多数決によって決められると
聞く。だから中には自分が良いと思った作品に票を投じている審査員も
いるであろう。審査結果はあくまで、仮の姿だ。
絶対ではない!落選よりも入選する方がいいに決っているが審査結果よりも
やはり自分の価値判断を最後まで貫く事もまた大事だと思う。
作品の最大の価値基準は自分が好きか嫌いかだけなのだから・・・

2000年4月5日
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