第12話 萬古焼

  萬古焼(ばんこやき)
・・・・はたして何人の人がこの名前を知っているのであろうか?
何人の人がその意味を説明できるのだろうか?

  自慢じゃないが萬古焼を知っている人は全国的に見るとかなり
少ないと言えるだろう。

  その大きな理由としてはまず第一に「萬古」が地名でないと
いう事だろう。備前とか九谷とか有田みたいに地名でない故に
どこの焼き物なのかさっぱりわからない。

  第二にどんな焼き物を萬古と呼ぶのかがはっきりしないという事だろう。
急須なのか、土鍋なのか、大量生産の花器や食器なのか?
これまたさっぱりわからない。

  これだけ悪条件がそろっていれば、知っている方が不思議なくらいだ。

  私個人の見解だが、四日市で焼かれているものはすべて「萬古焼」
なのだ。そう、「なんでも焼」である。ここに萬古焼の悲劇がある。
なんでもかんでも焼いているので正体がつかめない。
実際、四日市で作陶している私でさえ、ハッキリした正体がわからない。
こんな状況ではどうして人に萬古焼を伝えることができようか?

  第一話でも触れているけど、私は信楽の土を使って作陶している。
それを四日市で焼いているから「萬古焼」、
もし同じ物を信楽で焼けば「信楽焼」になるだろう!
まあこれは焼き物に限ったことではない。
全然違うところで採れた、または生産したものを名前だけ有名産地に
擦りかえて売る、なんてよくある話だ。

  だけど悲しいかな「萬古焼」は有名産地ではないのである。
(地元の人は除く)一部の急須愛好家が萬古の紫泥急須を珍重は
しているが、あくまでもマニアックの世界である。
変な話、たとえば備前ではないけど限りなく備前に近い所で出来あがった
作品を「備前焼」として売ることはあっても、近くだからと言って
あえて「萬古焼」として売りに出す人は少ないだろう。

  個展の時でも「何焼ですか?」と聞かれるのが一番ツライ!
「萬古焼なのに萬古焼でない」そして
「萬古焼でないのに萬古焼」である
私の作品はそのアイデンティティーを何処に求めればいいのだろうか?

  私は萬古焼の街で生まれ育った。子供の頃、「萬古まつり」は
楽しみのひとつだった。だから「萬古」という言葉には愛着がある。
萬古焼を有名にしたいのは、やまやまである。

  だけど実態が掴めにくく説明しづらいこの事実に背を向ける事は
できない。無責任にただ「萬古焼」を連呼していれば知名度が
あがっていくほど世の中甘くない。やはり有名になるには他人を納得させる
だけのシンプルで独特なる理由が存在しなければならない。

  毎年5月の第二土曜日と日曜日に萬古まつりが開かれる。
業界の不景気と高年齢化により毎年出展者数が減少の一途をたどっている。
さみしい限りだ。

  いつの日か「私は萬古焼で有名な四日市で焼き物修行したい!」と
言ってくれる若者が出てくるようになるには、誰かが巨星となるしかない
のであろうか? かつて無名な街、益子を有名にした浜田庄司のように。

2000年4月25日
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