第13話 焼成

  陶芸の場合、焼くという行程が最後にやってくる。
炎もしくは熱で土自体が固まり、焼きしまり、器の表面をおおっている
釉薬は溶け出す。この作業だけは人の手が入ってゆけない神に領域の
ような気がする。

  1200度くらいまでに温度が達すると、窯の中は光り輝いていて
中の様子すらわからなくなる。この高温をくぐりぬけ、
はじめて作品ができあがる。もちろん、失敗作もでる。途中で割れたり、
歪んだり、釉薬が溶けすぎて流れ出し、棚板(下の板)に
くっついてしまったり・・・。
正直、「焼成がなかったらどんなに楽か?」と思う時もある。

  窯の中はいわゆるミステリーゾーンで、我々が理解できるのは
焼成前と焼成後だけである。その途中の過程はまったく、うかがい知る事が
できない。なぜか火をくぐると新しいモノ、違うモノに生まれ変わるのだ。
それは生と死でもある。陶芸の場合、焼成によって新しいモノが
誕生するわけだが・・・それは死をも意味する。

  柔らかい土が熱で固まり、すべてを封じこめて時は止まる。
古代の埴輪や土器がいい例である。時間は止まり、同じ状態が永遠に続く。

  それとは逆の死もある。私事なのだがここ2ヶ月の間に祖父、祖母3人
が他界した。火葬場で骨を拾う時はいつもなにかしら無常なものを感じる。
たしかにほんの少し前まで、祖父と祖母の面影がそこにあったのに焼成後
(荼毘に付された後)にはまったくちがう姿になっている。
そう骨だけになっているのだ。

  同じ焼くという過程を経ても大きな差があると実感する。
片方はその存在を永遠のものにし、片方は無にしてしまう。陶芸の場合、
物理的に作品を固めるために焼成するのだが、我々作家はその「火の特性」
を作品に投影する事をひとつの自己表現として用いている。

  焼いて物が変化する・・・このどうしようもない物理的であり、
哲学的である過程を今一度見つめ直すと、また違った新しい作品が
生まれてきそうだ!!   

2000年5月5日                                                   
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