第17話 飯碗の悲劇

  人間、誰もが平等と私は思っていない。
それどころか人は大いなる不平等の中に生きている!
身体的な事もしかり、経済的な事もしかりだ。

  小さい頃学校で「人間は皆、平等なのです!」なんて
教えられたけど、そんな現実を無視した理想論を掲げている間は、
本当の意味での平等なんて永遠に来ない。
どう見たって大金持ちの子と貧乏な家の子と平等のはずが無い!!
もし平等だとおっしゃる方がおられるのならメールにてご一報願いたい。

  不平等といえば何も人間の世界だけではない。陶芸作品の世界は
人間世界のそれに勝るとも劣らない程、過酷で厳しい!!

  例えば、「ぐいのみ」と「飯碗」。どちらがお値段が高いでしょうか?

  もちろん例外もあるだろうけど一般的に「ぐいのみ」の方が値が高い。
大きさから判断するとはるかに「飯碗」の方が大きいはずだ!なのに
その何分の一の大きさしかない「ぐいのみ」に負けてしまうのだ。
おまけに「ぐいのみ」は木箱なんかに入れてもらえるのだが
「飯碗」の場合、ほとんど木箱にお世話になる事は無い。

  では同じ茶碗でも「抹茶碗」(茶席で使うそれです)と「飯碗」では
どうだろう?これは「待ったなし!」で「抹茶碗」の勝利で
値段も飯碗よりははるかに高い!モノによっては、ほとんど大きさも重さも
同じ。なのにどうして「抹茶碗」が勝利するのだろうか?
そして「飯碗」は敗北してしまうのか?

  答えは簡単。「飯碗」だからなのだ。
飯碗は生まれて死ぬまで飯碗なのだ!木箱に入れられる事なく、
何十万円という値段が付くわけでもなく、その一生を終える。
ああ、悲しいかな飯碗人生!!

  そうなのだ。名前によってモノの値段が変わってくる不思議な
不平等陶芸ワールド!!

  もし仮に大きな円柱形の花器があるとして、これが百万円だとしよう。
もしタイトルを「花器」ではなく「傘立て」としたらどうなるか?
百万円の傘立てなんてどこかしら、ずれている。

  そして、もし仮に50万円の大きめの「ぐいのみ」を「湯呑」と
名前を変更したらどうなるだろうか?一個、50万円の「ぐいのみ」は
存在しても50万円の「湯呑」は常識的に考えたら存在しないのだ。

  飯碗の場合、作家作品でだいたい一個、2500円から6000円
くらいではないだろうか?一万円以上の飯碗はあったとしても例外的で
ある。飯碗の場合、名前が「飯碗」である以上この状況は永遠に変わらない
であろう。まさに飯碗の悲劇である。
・・・飯碗は決して果物屋さんのメロンにはなれないんだ!!

  世の陶芸家の多くは飯碗をつくるのを避け、抹茶碗をつくる。
その大きな理由として庶民の飯碗をつくるより、ブルジョワの抹茶碗を
作ったほうが、儲かるから?なのかも知れない。

2000年6月15日
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