第35話 どこまでが自分の作品?

  先日、2000年、12月22日付けの毎日新聞朝刊の紙上にて
「山梨の陶芸家、他人に焼き上げ依頼、県芸術祭入選、取り消しも」と
いう記事が載っていた。

  内容としては作品は自分で作ったのだが、焼き上げを備前の作家に
依頼、自分作として出品したとの事である。それに対して、
「岡山県備前焼陶友会」のY氏は
「作家は自分で窯を持ち、自分で土をこねて、自分で焼くもの。
ほかで焼いたときはそう明示すべきだ」と指摘。
また山梨県生涯学習課のT氏は
「作品を売る陶芸作家は、すべて自分で作業することが前提であり、
疑わなかった」と説明している。

  それに対して今回、問題のN氏は
「備前焼は自分の窯では焼けず、焼いてもらっても問題ないと思った」
また「よそで焼いてもらっては、純然たる自分の作品とは言えない」
・・とも言っている。

  この記事を読んで、正直、私はビックリしたのである。
どうビックリしたか?これが作家の姿勢を決める大きな要因となるので
あろうが、私の考え方は「そんなに、気にする事なのかな〜?」である。

  窯が経済的に持てない人達は共同窯なんかで、焼いている人も
大勢いるし、公民館等で作品を焼いている人もいる。
陶芸教室に通いながら作品を作り、そこの教室の先生が窯を焚き
その出来あがった作品を、公募展や作品展に出品している人は
かなり日本中にいると思われるのだが、いかがなもんだろうか?

  確かに、「焼き」というのは陶芸作品の中では重要な部分にあたる。
焼き方によって確かに大きく作品の様相は変わってくる。しかしながら、
他人に焼いてもらったからその作品は自分の作品ではないか?と言えば
まるっきりそうとも言えないのではないか?と私の独断と偏見での意見だ。

  こういう問題は作家のスタンスや考え方、ポリシー、主義によって
大きく変わってくる。

  「土も当然、自分で掘ってこなけらばいけない!」
「釉薬も当然、自分で調合しなければいけない!」
「焼きも自分で焼かなければいけない!」
・・・確かにこだわって物を作るのだが、それは個人でのレベルの問題だ。
土も自分で掘り、釉薬も自分で作り、窯で焼く。
そう思っている人はそのように好き勝手やればいい。

  だが、「自分で土を掘りに行ってないから作家ではない。」
「自分で釉薬を作ってないのは作家として半人前だ」・・と
いう意見はやはり、おかしいと思ってしまう。
それは個人の考え方であり人に強制するものではない。

  前にも書いたが、陶芸は自分一人ではできない芸術なのだ。
土だって自分で掘ってはこれるが、土自体を作る事はできない。
釉薬もしかり。窯だって自分で作らなければいけなくなるし、
仮に作ったとしても、レンガはまで自分で作る事はまずないだろう!
火だって自分が操作しているように、感じるが半分は神の領域だと
私は思っている。

  話は少しそれてしまったが、今回の問題にしても窯焚きの時に
その場にいて、1束でも薪を投げ込めば自分で焼いた事になるのか?
半分投げ込めば良いのか?はたまた全部、投げ込まないと
自分で作品を焼いたという事いならないのか?
・・・このあたり実に曖昧だ。

  たとえば、その備前焼の作家の土地を買い取り、その陶芸家を雇って、
自分の指示で焼かせたとしたら・・その場合はどうなるのであろうか?
同じ行為にしても意味合いは大きく違ってくる。

  私は今回の事は出品者の考え方が1番重要であるべきだと思っている。
1から10まで全部自分でやらなければ気がすまない人は始めから、
焼成を依頼するという事もないだろう。今回は作品自体は自分で作ったと
言われているんだから、あとは自分が「ここまでなら自分の作品だ」と
いう価値判断をしっかり持つべきであろう。

  しかし、どこまでが自分の作品という定義は実に難しい。たしか、
かの魯山人も職人さんが作った器に絵を書いたのがあったような、
なかったような???

2000年12月25日
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