第36話 岡本太郎

  私の好きな芸術家の一人に岡本太郎がいる。
彼の作品も好きだが、むしろ彼の行動や発言に共感を覚えるのである。

  何にも媚びずに自分の意志を貫く。他人がなんと言おうと
自分の世界を展開し自由で奔放、それでいて繊細だ。

  私はと言えば岡本太郎の生き方や考え方に共感すれども、
なかなか実行には移せない、内気な小市民である。
それが故に彼みたいな人に強く憧れるのであろうか?
岡本太郎の本を私は何冊か持っていて、それを読む度に彼の
スケールの大きさにド肝を抜かれるのである。

  昔、コマーシャルでの「芸術は爆発だ!」というフレーズは有名だが、
私はもうひとつの「グラスの底に顔があってもいいじゃないか!」の方が
好きである。そうなのだ!今まではグラスの底に顔は無いのだ。
いや、あってはいけない風潮が日本にはあった。
それは陶芸界も同じ事が言える。

  もしも「抹茶碗の底に顔があってもいいじゃないか!」と置きかえると、
私自身これほど痛快なメッセージは他にない。
お茶を飲み終えたら顔が出てくる!抹茶の緑色がついている顔は
イタズラ小僧がどろんこ遊びを終えてきたばかりのようで、面白い。
顔も怒った顔や笑った顔、ひょっとこ、おかめ・・・
そんなのもあっても面白い。

  芸術(陶芸やお茶、お花も含め)とは「あれもダメ、これもダメ」の
世界ではなく「あれも良し、これも良し」の世界のはずだ。
岡本太郎は説教くさく我々に言っていない。強制的ではなく
「顔があってもいいじゃないか!」とメッセージに載せて言っている。
そこがかろやかにて、スマートで好感が持てる。

  陶芸の世界に長くいると「こうでなくてはならない」的、説教的な
発言をよく耳にする。その発言者は私の経験では茶道関係の方が多かった。
もちろんすべてがそうではないが、多かったのは事実なのだ。
いったい茶道を通して何を勉強されているのか?と疑問を持たざるを
得ない。もともと茶道とは自由な精神世界を追求する芸術ではないのか?
まるで「なんでも鑑定団」の養成機関かと思ってしまう。

  岡本太郎も茶席で茶人と喧嘩したエピソードがあるが、気持ちはすごく
理解できる。岡本太郎はバリバリのオブジェや絵画を書いているが、
決して伝統を否定する人ではなかった。真に伝統を残してゆく人々は
むしろ、前衛的な人だと私は思っている。

  私は岡本太郎という芸術家と一度会ってみたかった。そして私が
持っている疑問や意見を色々と聞いて欲しかった。
彼の意見も聞きたかった。
・・・・それは叶わぬ私の勝手な願望であるが・・・

2001年1月8日
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