第19話 他人の目

  人は誰しも他人の目を気にして生きている。
「俺は他人の目なんぞ気にしてねえよ!!」なんて
言う人がいるかも知れないが、それは嘘だ。
もし本当に気にしていないのなら街中を裸で歩けるはずだ。
我々は必ず他人の目を意識しながら生きている。

  作家も人の子、自分の世界を主張するのが仕事であるが、
あくまで他人に見られるということを大前提として作品を作っている。
人がなんと言おうと我道をゆくのが作家なのだが、よくよく考えてみると
せっかく作品を作っても誰も見てくれなければ、何にもならない。

  こと作品を売って生計を立てていくとなると、自分だけが満足と
いう感じでは到底生活はできてゆかない。他人が作品を買ってくれて
他人のおかげで生かされている事になる。つまり他人に認めてもらわないと
ダメなのだ。

  かと言って、他人の目を気にしすぎたり、他人の批評を怖がって
いては、自分の作品は生まれない。丸い石ころみたいに、どんどん角が
取れて行き、どこでもある石ころにになってしまう。
そうなると作家としての存在価値は無い。

  私個人的に思うに、自分の作品を理解してくれたり、
興味をもってくださる人は10人中1人でもいれば、バンバンザイである。
私の場合は100人に1人、いや1000人に1人かも知れない。
それでも理解者がいれば作家としては多いに救われる。

  しかし、逆に考えると、その理解してくれる人以外は、
「興味がない」、もしくは「批判家」であるという事になる。
他人の目は厳しく、個展会場ではその目をいかに、受け入れるか?
または、いかにかわすか?になってくる。

  「目のやり場に困る」と言うけれど、目の持っている力は恐ろしく、
その場の雰囲気はお客さんの目の表情ひとつで、穏やかになったり、
不安げになったりする。

  あたりまえの話だが、他人は自分でないし、自分は他人でない。
つまり自分を本当に理解してもらうには、他人が自分と同化するしかない!
そんな事、不可能な事だ。
どこかしら部分的な共感で他人と自分が結ばれる。

  永遠に個人は他人の目に写し出される被写体なのであるが、
よく写ろう!と思っても無駄である。人それぞれに目が違うから、
こっちで良くても、あちらではダメなのである。

  つまり全員、全ての人に理解はしてもらえない。と言う事だけは
間違いない。

  良い例が夫婦である。私なぞ女房と12年も一緒に暮らしているが、
お互いを本当に理解しあえるまでには、あと、100年ほど
かかりそうだ(爆)

  作家とは他人の目を意識せず、他人の目を意識しなければならない。

  う〜ん、難しい!!!!

2000年7月5日
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